では続きをどうぞ。
 駅に着いてまもなく単行のレールバスが入ってくる。鹿島鉄道は古いディーゼルカーをいろいろ保有していることで知られるが、この日は新型のレールバスしか動いていなかった。切符は硬券も用意しているようだが、金額を言って待っていると機械で印刷された薄い切符を手渡された。硬券は「硬券で」と言わないと売ってもらえないらしい。
駅を出ると、列車はゆっくりと進む。たびたび警笛を鳴らすから何かと思えば、なんと警報機も遮断機もない踏切を通過するからであった。そんな踏切が何箇所も見られる。この鹿嶋鉄道は廃止される恐れがあると聞いたが、乗客はそれなりに乗っている。しかし、途中駅はどこも駅前には田んぼしかないようなところばかりだった。それでも住宅は結構あったから、ある程度の需要はあるのかもしれない。もっとも、皆自動車で出かけてしまうのかもしれないが・・・。
 途中の「常陸太田」という駅で下車して辺りをぶらつく。予め駅で切符を購入、とうとう硬券を手に入れた。この日、中間駅としては唯一の有人駅だと鉾田を出る前に運転士さんから聞いていたので、そこそこ開けているだろうと思い降りてみたのだ。 駅構内には茶色いディーゼル機関車が留置してあった。かつて鹿島鉄道は成田へ石油を輸送していたそうなので、それで使っていたのだろう。案外綺麗だった。撮影後、「撮影希望の方は帳簿に書き込んでください」という看板を見かけたが、駅構内にはそれらしきものは見当たらなかった。ちなみに、私の他にも、撮影目的でこの駅に来た人は多かった。
 この駅を出てまっすぐ進んでみた。すると、自動車の多い道路へ差しかかる。近くにはショッピングセンターもあるようだ。その道路を渡ってさらに進むと、川に着いた。まわりは堤防に囲まれているが、緑豊かないいところだった。釣りをしている人を見かけた。 ちょうど発車時間が近づいてきたので、駅へと戻る。列車が発車する際、ホームに立つ駅員さんに向かって手を挙げると、丁寧にお辞儀をしてくれた。いい人だ。 その後、途中駅で部活帰りと思われる学生が何人か乗ってくる。一人はテニスラケットを持っているのを確認できたが、全員がテニス部かどうかはわからない。 やがて、終点石岡に着く。駅構内には鹿島鉄道の古いディーゼルカーが何両か停められていた。その中には私の好きな「旧国鉄キハ07形」を改造した車両もあった。流線型ボディーを持った車体も大改造され国鉄時代の面影はほとんどないが、今も「鉄道省」のプレートが残されているという。ちなみに、現在も営業路線で活躍する元キハ07形は、この鹿島鉄道のものが唯一となっている。
 駅前には西友があったが、閉店となった模様だ。駅前の土産物屋でいくつかお土産を買う。駅周辺にはコンビニが見当たらず、仕方がないので夕食として駅前のロッテリアでハンバーガーを買う。 帰りの特急の発車時刻が近づいたのでホームへと向かう。 やがて、赤色の「フレッシュひたち」がホームへ入ってきた。まとまった空席が見つかったのは喫煙車であったが、タバコを吸わない人も多く、吸う人も一人一本程度だった。
 そのうちに上野の駅に到着、京浜東北線で帰った。疲れたが、いろいろなことが経験出来て楽しかった。
今日、千葉・茨城方面へ家族で日帰り旅行に行ってきた。
 まず、横浜から横須賀線で成田まで行った。駅弁を食べるのと、比較的長い距離なのでグリーン車に乗った。千葉からは快速運転だったが、結局一駅しか通過しなかった。 その後、普通列車で水郷として知られる佐原という所まで行った。この佐原には何度か行ったことがあるが、今日はそれまで以上に混雑していた。テレビで積極的に取り上げられたからだろう。日本で初めてかなり正確な地図を作った伊能忠敬の記念館に行き、その後昼食を撮ったが次の電車まで時間がある。観光客であふれる駅とは裏腹に大きなお店も多くが閉店になっていて、そうでないところも定休日になっているのがほとんどだった。 そこで、駅から少し離れた神社に行ってみた。急な石段があったがそれほど長いわけでもなく、又景色もよかったので行ってきてよかった。
 佐原の駅に戻り、鹿島線で鹿島神宮まで行く。鹿島神宮の駅では駅の改札を出る人より鹿島臨海鉄道線を使う人の方が多かった。今日は鹿島サッカースタジアムで試合があるからなんだろう。Jリーグ人気も下火になったと思いきや、駆け足でほとんどの人が乗り換えていく光景には圧倒された。
 鹿島神宮にお参りをしてから鹿島臨海鉄道の2両編成のディーゼルカーに乗り込む。冷房はついていないため、屋根には扇風機が並んでいる。平成になってから製造されたようだが、海の近くを走っているためか少し腐食が見られる。さっき大勢の人が乗り込んだ車両程は混雑していないが、それでも何人かは次の鹿島サッカースタジアム駅で降りた。ここは普段は貨物駅として使われている臨時駅だ。 やがて日本一長かった駅名を持つ「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前」を過ぎ、新鉾田へと向かう。新鉾田の駅で降りた後は、駅員さんに教えてもらった道を通り、小さな商店街を抜け、鹿嶋鉄道鉾田駅へと向かう。駅前にはセブンイレブンのようなコンビニがあったが、閉店してだいぶ経っているようだ。
(長いので、続きは後日。昨日は書ききれなかったので、4日にまとめて掲載しました)
今日、学校で学年対抗の綱引き大会をやったところ、うちのクラスが優勝できた。
それだけのことではあるが、私は小学校の頃から一度も運動系のイベントでクラス優勝したためしがなかったので、大変うれしかった。
これからも、この調子でいろいろ頑張っていきたい。
もう知っている人も多いと思うが、今日の未明、下関駅の東口駅舎が全焼した。放火にあったのだそうだ。
私は去年の1月3日、寝台特急「あさかぜ」号で下関に行った。それから丁度1年が経ったころ、その駅舎が焼けてしまったのだ。たいへん驚いた。
何でも駅舎は、太平洋戦争中に建設されたものだったらしい。改めて焼ける前の写真を見ると、結構しゃれた駅舎だったと思う。中の時計も結構こっていただけに残念でならない。怪我人や死者が出ず、本当によかった。
今も下関へ通じる在来線はストップしてしまっているらしい。九州へ渡るには関門橋、フェリー、新幹線などを使えばいいが、寝台車で旅行を計画していた人などにとっては残念でならないだろう。
早く、駅がまた機能するようになってほしいものである。
今日、プラネタリウムに行ってきた。なんでも、25周年記念として、来場者にペン形顕微鏡・望遠鏡がプレゼントされるということなので行くことにした。このプラネタリウム、近所にあるのに小学校中学年の頃に行ったきりであった。その時は、ギリシャ神話についてのことを見た記憶がある。
着いてみると、始まったばかりで次の上演までだいぶ時間があたため、とりあえず近くの模型屋に立ち寄り、昼食を取った。それでもまだ30分ほどあったので、しばらく雑誌を読んで待っていた。
開演15分前にドアが開けられ、入場券を買った。お目当てのペン形望遠/顕微鏡ももらえた。輸入品で、上演が始まる少し前にそれについての説明があった。「(それで)広告などを見ても、印刷の細かい粒がよく見えて面白い」とのことだったので、家に帰ってやってみると確かに面白かった。模型の細かい文字を読んだりする役にも大いに立ちそうだった。
会場は思ったよりも狭く、人もまばらであったがそれでも十数人が場内に入り、開演された。
まずは、丁度上演の時間の2時頃のとある森の中の様子から始まった。そして、少しずつ太陽が沈んでいった。森の風景も上手に再現されており、見ているだけでのんびりできた。今日の日の入りは4時55分だそうだ。日もだいぶ短くなったんだなあ、と感じた。
また、今火星が接近しているということも聞いた。夕方、東の空に見られるそうだ。確かに、東の空に少し前から他の星と違うような星があったが、どうやら火星だったようだ。
そして日が沈むと、空にはきれいな夕焼け雲が。そして、一番星が現れた。しばらくすると、空には満天の星空が。「こんなにたくさんの星があるんだ・・・」と改めて感じた。
途中は、ギリシャ神話なども知れて、なかなか面白く、また星の勉強の復習にもなった。(私の中学・高校では、星の勉強はやらない)
後半のアニメーションも面白く、上演時間の50分はあっという間に過ぎていった。
開館記念日の無料上映会に行けないのは残念だが、なかなか面白かったので、また近いうちに行ってみたい。(10/28 一部追記)
今日、4日間の中間考査が要約終わった。近いうちにに模試があるけれど、これでしばらくはゆっくりできる。
そういうことで、今日は久しぶりに近所の自然公園に行ってきた。この公園は大変広くまた緑豊かな公園で、小学生の頃まではよく来ていたのだが、中学に入ってからはほとんど行かなくなってしまった。
しかし、本当に昔と全然かわっていなかった。木が多く茂っていて、大いに自然と親しんだ。他にも、多くの人が散歩などを楽しんでいた。
結局、公園を一回りして、45分くらいは公園にいた。起伏に富んだところなのでだいぶ疲れたが、いい運動になった。また近いうちに訪れてみたい。
また、毎月第3日曜日に清掃をやっているそうなので、暇ができたら是非参加してみようと思う。
今日は楽しかった。模試も頑張りたい。
今日は、前回日記に書いたロマンスカーの切符を取りにいった。
先生の分をとり忘れていたような気もしたのだが、全員分予約していたようで、無事手に入った。
ついでに、乗車位置なども確認しておいた。乗る予定の普通の車両よりも編成は短いようだ。
弁当はホームの売店でも販売しているようなので、それを買って乗り込もうと思う。
今から、合宿が楽しみだ。
今日、小田急電鉄の特急ロマンスカーの前側の展望席の切符を予約した。
学校の鉄道研究愛好会(以下・鉄研)の合宿の時に乗るロマンスカーの予約だ。
予約開始時間の10時丁度に電話をかけてみた。幸い、電話はすぐつながった。
しかし・・・予約開始から1・2分しか経っていないというのに前の一列目はもうほとんど埋まっていて、1人分しか取れなかった。その他の列も前から1・3・4・1人というかなり変則的なものになってしまった。新型車のVSEということもあるが、こうもあっという間に埋まってしまうとは、恐ろしいものだ。
しかし、調べてみると展望席は12席しかないようだ。鉄研は引率の先生も含めて7人なので、半分以上を占めたということになる。
まぁ、予約が無事に取れてよかったと思っている。実は昨日、学校から予約を入れてみたのだが時間がかかってしまい結局全て埋まってしまっていたので。(今日は予約日を1日遅らせて再トライしてみた)
合宿はまだまだ先だが、行くのが楽しみだ。

P.S.気がつけばもう3ヶ月以上も日記を書いていなかった。いやはや、時が経つのは早いもので・・・。
今日、田宮模型の「カチカチラッコ工作セット」を組んだ。これは現在絶版になっている製品なのだが、昨日行ってきた科学教材社に在庫品として残っていたものを購入した。
不器用な私だが、これは今日1日だけで完成させられた。これがその画像である↓
http://ippeipage.hp.infoseek.co.jp/Dsc00286.jpg
これは、手を叩くと音センサーが反応してスイッチが入り、モーターを回し、ラッコがカチカチと貝と貝をぶつける、というもので、その動きはかなり速い。なかなか面白かったので、興味のある人は組んでみてはどうだろうか。まだ、このセットは科学教材社にもう1つあったので。

卒業!

2005年3月18日 日常
今日、無事に中学を卒業しました!中学の3年間は、あっという間に過ぎ去って行きました。これからの高校生活に向けて、頑張っていこうと思います。
しかし・・・卒業生当時の生徒の答辞に変なところが・・・
「2年のときの農村体験学習の夜見た満天の星空・・・私は、一生忘れることはないでしょう。」
・・・あの時は「曇っていた」のにどうして「満天の星空」を拝めたんですか?もう忘れてるじゃないですか・・・。
まぁ、それはともあれ皆勤賞ももらえたことですし、これからも皆様宜しくお願いします。

P.S.これ書き終わったら紅白饅頭食べるかも。楽しみです。

教室の引っ越し

2005年1月28日 日常
昨日、新校舎が完成し、近いうちに旧校舎の大半は取り壊されることになった。そのため、旧校舎にあった私の教室は引っ越すことになった。もっとも、移動先は新校舎ではなく残されることになっている前からある校舎なのだが・・・。
結局1年間は使うことがなかった教室だが、「短い間だったけれどありがとう」という気持ちを込め、黒板の隅にチョークで一言「ありがとう」と書いておいた。しかし、「どうせもう壊されるのだから・・・」と教室のロッカーなどをけったりしている奴がいるのは嘆かわしいことだった。
引っ越し先の新しい教室は、今まであった校舎とはいえ大改装をして作られた教室なので、とてもきれいだった。ただし、教室全体はやや小さくなってしまったようだった。机と椅子も新しく用意されていたのだが、何故か椅子は静電気がすごく、しばしばバチバチと音がした。それと、何故か黒板はどんなにきれいにした黒板消しで拭いても一度書いたあとでどんなに消してもきれいには戻らなかった。
教室も新しくなったことだし、これからもより一層頑張ろうと思う。

それと、今日学校の帰りに久しぶりに小学生だった頃通っていた塾に遊びに行ってみた。中学生になってからは1度も来なかったので、もう3年ぶりになる。
さすがにスタッフの人もほとんどかわっていた。いつの間にか、クラス分けの制度も少しかわっていたようだった。さらに、常備してあった本の量も少し増え、借りることもできるようになっていた。
いろいろな発見があって、楽しかった。
今日、学校で百人一首のカルタ大会があった。
このカルタ大会は中学のみなので、この大会が終われば、もう私は二度と百人一首をやる機会は無いだろう、と思っていた。なので、有終の美を飾ってやるぞ、という思いがあった。
そして、カルタ大会が始まった。最初はなかなか札が取れなかった。「まぁはじめは仕方ないか・・・」と思っていたが、しばらく経っても札は取れなかった。そればかりか、焦ってお手つきをしてしまった。それも、2度も。
結局前半(最初の40枚)は、お手つきのマイナス分を埋めて持ち札を0枚に戻すので精一杯だった。
その後、15分ほどの休憩時間が挟まれたが、私は休憩時間返上で札の位置を必死で覚えた。そして、休憩時間が終わった。
開始されてしばらくし、私は1枚札を取った。その後も「気を抜いたら、勝てない!」と必死で札を捜し、取っていった。
気がついたら、私の持ち札は10枚に達していた。
その後もどんどん取り、最後の1枚も何とか取った。結局、お手つきのマイナス分を差し引いても18枚も取ることが出来た。私のグループで札を一番取った人は20枚で、2人いた。私もお手つきさえなければ、その二人と並んで1位が取れたのだが、もうそんなことはどうでもいい気がした。
↓去年の日記
http://ippeipage.hp.infoseek.co.jp/kako/kako-diary2004.1.html
によると、去年の大会では14枚取っていたようなので、見事昨年以上の成績を残して私のカルタ大会を結ぶことが出来た。ちなみに、去年の大会で89枚取ったものすごく百人一首の得意な人は、今年はなんと93枚取っていた。
今年は、個人戦・団体戦共に一位は他のクラスの人。(「ものすごい人」はクラス替えで他のクラスに)しかしながら、私にとっては大大大満足である。満足できる結果に終わって、本当によかった。(嬉しさのあまり、とんでもなく長くなってしまった。10位以上の入賞者に比べればたいした成績でもないくせに・・・)

初雪だ!

2004年12月29日 日常
今日、雪が降り、庭にも3cmほど積もった。私の住む横浜では、年明け前に初雪が降ることは珍しい。しかも、今年は暖冬なのに・・・。
それと、不思議なことに、私は昨日、中古模型店で雪かき車の「キ100形貨車」を1両購入しており、その翌日に雪が降ったのである。面白い偶然である。せっかくなので、雪に線路を少しだけうずめてキ100と機関車を乗せて撮った写真があるので、そのうち模型のコーナーで紹介しようと思う。

植物を植える

2004年11月7日 日常
とーとつな始まり方だが、私の家は山に囲まれている。
「横浜」と聞くと港や海をイメージする人が多いだろうが、内陸部はまだまだ畑もあるのどかなところが広がっているのだ。
私のすんでいるところもだいたいそんな感じである。春には裏山の大きな桜の木が花を咲かせ、桜吹雪が舞い、夏にはやかましいと思えるほどのセミの大合唱、秋には鈴虫がこれまたやかましいほどに鳴き、冬には辺り一面真っ白な雪景色・・・というようなところである。(雪が積もるほど降ったのは5年くらい前が最後だが・・・)
しかし、そんな私の住むところでもとうとう開発がはじまることとなってしまった。まわりの山のほとんどの木は切られ、整備され、住宅地になるというのだ。今まで当たり前のように感じていた高い木のそびえる山の風景も、過去のものになろうとしている。前述の裏山の大きな桜の木も切られるそうだ・・・。
私は最後の思い出作りにと、裏山の遊歩道を散歩することにした。ここももうすぐ舗装されることだろう・・・。
その帰り、私は遊歩道の途中で何かの植物が芽を出しているのを見つけた。(後でわかったのだが、その植物はどんぐりをつけるシイの木だったらしい)
私は、一旦家に帰ってスコップと洗面器を持ってその場所へと向かった。そして、スコップでその植物とまわりの土を洗面器に入れて持って帰った。それを持ち帰る途中、家の裏の山で左右の双葉が違う形をしている面白い植物も見つけたので、それも一緒に持って帰った。
私はそれを、植木蜂に植え替えた。「遊歩道が舗装されて育てなくなってしまってはかわいそう・・・」と思ったからだ。後で見つけた植物も、裏の山も崩されることになっているので同じ理由で持って帰った。
植物を育てるのは、小学5年の時にやった稲以来実に4年ぶりだが、是非大きく育って欲しい。私は飽きっぽいので苦にならないよう1週間くらいごとのペースで観察日記をつけていこうと思う。そのページURLはhttp://ippeipage.hp.infoseek.co.jp/kikaku3.htmlなので興味のある方は是非。
今日、いろいろあって帰るのが遅くなり、最寄りの駅についたのは5時10分になっていた。
駅に着いたときには、もう辺りも真っ暗になっていた。冬ももうそこまで来ているんだなぁ、というのを感じた日になった。

それと、このこととは関係がないが、先日家に新札がやってきた。
5000円札は、やっぱり新渡戸さんの方がよかったような気がする。(あの紫で隅に透かしが入っているデザインが好きだった)裏面は、どの札もなかなかなじめそうにないような気がした。
夏目さんの描かれた1000円札を握りしめ、商店街へ走った日が思い出になる日も近いと思うとちょっと寂しい。新札に慣れるまでにはどのくらいかかるのだろうか・・・?

公衆電話が消える

2004年10月19日 日常
今日、電話をかけることにしたので駅前の公衆電話に行ってみたのだが、なんと公衆電話はなくなっていた。ついこの間までは、ちゃんとあったはずなのに・・・銀のプレートに描かれた受話器のマークを掲げて・・・。
この電話ボックスにはかなり早いうちからグレーの電話機が設置されていた。当時、まだ緑電話ばかりだったころ、そのグレーの電話機は、かっこよく思えていたのを思い出す。
これは当然、携帯電話の爆発的普及により撤去されたのだろうが、やはりちょっと寂しい。ICテレホンカードを使用した新型公衆電話もあまり注目を集めていないことからも、もう公衆電話は衰退の一途をたどっていくことになってしまうのだろうか・・・。(ちなみにこのときは近所の銀行に備え付けてあったカード専用の緑電話からかけられたので、何とかなりました)
一番上にあるように、MEMORIZEのサービス終了に伴いこれからはこの日記帳を利用させて頂くこととなりました。できる限り使いやすくみやすい(と思われる)日記帳レンタルサービスを探しました。皆様、これからこの「あたらしい いっぺいの日記帳」をどうぞ宜しくお願い致します。

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